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三本の指には入る、ということ。
日本には実に多くの三本指に入るというか、「三大〜」というのがある。なぜ三本の指なのかしらない。
ただ、誰でもよく知っているたとえば三大美人。といえばクレオパトラ、楊貴妃、小野小町。というように。
ただし、個人的な依怙贔屓というか趣味も入ってくると、訳がわからなくなる場合もある。一応、三大云々といわれているモノを以下に列記しょうっと思う。むろん私自身の独断と偏見も混じるに違いないが許していただくことにする。
○日本三景「陸前高田、安芸巌島、丹後天橋立」
○三名山「富士山、白山、立山」わが県の立山とお隣の白山が入っているのが嬉しい。
○日本三大祭「東京神田祭、京都祇園祭、大阪天神祭」浅草や博多は何故か入れない。
○三大霊山「比叡山、高野山、恐山」
○三名園「水戸偕楽園、岡山後楽園、金沢兼六園」
○三大河「利根川、筑後川、吉野川」
○川の長さでは「信濃川、利根川、石狩川」
以上、まだまだありますがとりあえずです。
ただ、誰でもよく知っているたとえば三大美人。といえばクレオパトラ、楊貴妃、小野小町。というように。
ただし、個人的な依怙贔屓というか趣味も入ってくると、訳がわからなくなる場合もある。一応、三大云々といわれているモノを以下に列記しょうっと思う。むろん私自身の独断と偏見も混じるに違いないが許していただくことにする。
○日本三景「陸前高田、安芸巌島、丹後天橋立」
○三名山「富士山、白山、立山」わが県の立山とお隣の白山が入っているのが嬉しい。
○日本三大祭「東京神田祭、京都祇園祭、大阪天神祭」浅草や博多は何故か入れない。
○三大霊山「比叡山、高野山、恐山」
○三名園「水戸偕楽園、岡山後楽園、金沢兼六園」
○三大河「利根川、筑後川、吉野川」
○川の長さでは「信濃川、利根川、石狩川」
以上、まだまだありますがとりあえずです。
直感とひらめきの大連立?
自民と民主の大連立ということで、小沢代表の引退劇も昨日は決着を見た。
「直感とひらめき」というワンフレーズに酔った人々は今何を思っているだろうか。このフレーズを作ったのは元首相の小泉さん。
直感も、ひらめきも意味として同じなのに並列にされた言葉から、何をかんじとったのだろう。昨日も某テレビで小池百合子氏が例に出して使っていたが、「直感とひらめき」という誠に古い、古すぎる感性におどろいた。
小泉さんのフレーズのその結果「格差社会」と「心身荒廃」しか残さなかった(むろんマイナス目で言えばだが)これは今後の日本の社会にたいしての重大な禍根ではないかと思う。
また首相の小泉さんによって生み出された小泉チルドレンたちの運命も同時に危ういもんだと思う。チルドレンも「直感ひらめき」の賜?泡(バブル)みたいなもんかな。それにしても政治家の数が多すぎるように思う。泡沫的政治家は国民の血税の無駄いにいつまでこうけんさせているのか。
「直感とひらめき」の危うさは「美しい日本」に受け継がれたが、どうして「美しい日本語」へと転嫁されることもなかった、すべては想像力の貧困と言わざるをえない。
そいえば、想像力の欠如こそ恐ろしい私たちの敵でもあるのだ。
「直感とひらめき」というワンフレーズに酔った人々は今何を思っているだろうか。このフレーズを作ったのは元首相の小泉さん。
直感も、ひらめきも意味として同じなのに並列にされた言葉から、何をかんじとったのだろう。昨日も某テレビで小池百合子氏が例に出して使っていたが、「直感とひらめき」という誠に古い、古すぎる感性におどろいた。
小泉さんのフレーズのその結果「格差社会」と「心身荒廃」しか残さなかった(むろんマイナス目で言えばだが)これは今後の日本の社会にたいしての重大な禍根ではないかと思う。
また首相の小泉さんによって生み出された小泉チルドレンたちの運命も同時に危ういもんだと思う。チルドレンも「直感ひらめき」の賜?泡(バブル)みたいなもんかな。それにしても政治家の数が多すぎるように思う。泡沫的政治家は国民の血税の無駄いにいつまでこうけんさせているのか。
「直感とひらめき」の危うさは「美しい日本」に受け継がれたが、どうして「美しい日本語」へと転嫁されることもなかった、すべては想像力の貧困と言わざるをえない。
そいえば、想像力の欠如こそ恐ろしい私たちの敵でもあるのだ。
現代詩〜乾く唇。
今日は、初めて現代詩を掲載します。
現代詩はあまり読まれることが少ないようにおもいます。このさい慣れ親しんでいただくとありがたく思います。
乾く唇
砂山は遙か沖に没していた…
死後とはいえ唇が乾く
まぼろしの夏の命運をはかるように
ぼくを呼ぶ声がする
比喩のように生きる歓びも
すててはいないからこそ、
引き返せない記憶の身体がある
いわゆる運命的な境界線で
無惨な裸身を晒していたあすの記憶
忘れろ、忘れろ、
もうひとりのぼくらふたり…
透明になりきれない言葉に縋ってみるが
ぼくというあなたの強がりは
あの夏の終わりからはじまっていた
確かに波打ち際を彷徨う幼い魂を見たと
真剣に語ってくれた、
それも「希望という不治の病」か
忘れろ、忘れろ、
まぼろしの夏の溺死というあすの記憶で
乾く南天 !
以上ですが。皆様はどのように感じられましたか。
なおこの作品は、今年の晩夏に某地方紙の依頼によって書いたもの。この詩は雲の写真を添えられて紙上に発表されたものです。
現代詩はあまり読まれることが少ないようにおもいます。このさい慣れ親しんでいただくとありがたく思います。
乾く唇
砂山は遙か沖に没していた…
死後とはいえ唇が乾く
まぼろしの夏の命運をはかるように
ぼくを呼ぶ声がする
比喩のように生きる歓びも
すててはいないからこそ、
引き返せない記憶の身体がある
いわゆる運命的な境界線で
無惨な裸身を晒していたあすの記憶
忘れろ、忘れろ、
もうひとりのぼくらふたり…
透明になりきれない言葉に縋ってみるが
ぼくというあなたの強がりは
あの夏の終わりからはじまっていた
確かに波打ち際を彷徨う幼い魂を見たと
真剣に語ってくれた、
それも「希望という不治の病」か
忘れろ、忘れろ、
まぼろしの夏の溺死というあすの記憶で
乾く南天 !
以上ですが。皆様はどのように感じられましたか。
なおこの作品は、今年の晩夏に某地方紙の依頼によって書いたもの。この詩は雲の写真を添えられて紙上に発表されたものです。
方言地図について。〜てもらいたい。〜てほしい。
以前に某所で書いた小文ですが、最近は特に若い人の言葉の乱れが気になる。イントネーションが関西だったり東北だったりしていて標準語なんてものは無視されているのか。わざとギャグ的につかっているのか。地方から出てきた若者の言葉がいりまじって、東京弁も今やあいまいになっている。
ところで、方言地図というのがあって地方の暮らしや歴史などの違いがわかり、 民俗学的にみても、言語学的からも想像力をかき立てる。
歌謡詩を書いているといっそう興味深い言葉の違いがある。
「〜てほしい」と「〜てもらいたい」の違い。東京では大正時代あたりまではほとんど「〜てもらいたい」が主流であったそうで、「〜てほしい」は関西が主流の言葉であったようだ。同じ意味だが、このように表現が違う。現在は「〜てほしい」のほうが、多いようにおもうが、これは私の住む北陸地方における感慨でしかないのかもしれない。
東京では「〜てもらいたい」に近いいいまわしで「〜てちょうだい」という言い方もある。女子供の言葉でしかないのかもしれないが、関西ではなんというのかしらない。「〜おくれ」というのを聴いたことがあるが、 「〜ちょうだい」に対して「〜おくれ」なのかどうかは、はっきりしない。
言葉は簡略化して、短くなる傾向にあるというが、東北地方の簡略化までにはいかないだろう。「わ」とか「な」とか一音では極端すぎるだろうから。
「〜てほしい」は軽いが「〜てもらいたい」は江戸時代の武士の言葉のように重い。だが、作家の言葉の頻度では森鴎外、二葉亭四迷あたりは、「〜てほしい」は全く使用してない、夏目漱石でも2%という統計もでている。
たとえば「〜返してほしい」と「〜返してもらいたい」では、どうだろう。「〜てほしい」は直接的なお願いなら「〜てもらいたい」は自尊心の高い願望にきこえるが、皆さんはどのように感じるだろうか。
ところで、方言地図というのがあって地方の暮らしや歴史などの違いがわかり、 民俗学的にみても、言語学的からも想像力をかき立てる。
歌謡詩を書いているといっそう興味深い言葉の違いがある。
「〜てほしい」と「〜てもらいたい」の違い。東京では大正時代あたりまではほとんど「〜てもらいたい」が主流であったそうで、「〜てほしい」は関西が主流の言葉であったようだ。同じ意味だが、このように表現が違う。現在は「〜てほしい」のほうが、多いようにおもうが、これは私の住む北陸地方における感慨でしかないのかもしれない。
東京では「〜てもらいたい」に近いいいまわしで「〜てちょうだい」という言い方もある。女子供の言葉でしかないのかもしれないが、関西ではなんというのかしらない。「〜おくれ」というのを聴いたことがあるが、 「〜ちょうだい」に対して「〜おくれ」なのかどうかは、はっきりしない。
言葉は簡略化して、短くなる傾向にあるというが、東北地方の簡略化までにはいかないだろう。「わ」とか「な」とか一音では極端すぎるだろうから。
「〜てほしい」は軽いが「〜てもらいたい」は江戸時代の武士の言葉のように重い。だが、作家の言葉の頻度では森鴎外、二葉亭四迷あたりは、「〜てほしい」は全く使用してない、夏目漱石でも2%という統計もでている。
たとえば「〜返してほしい」と「〜返してもらいたい」では、どうだろう。「〜てほしい」は直接的なお願いなら「〜てもらいたい」は自尊心の高い願望にきこえるが、皆さんはどのように感じるだろうか。
美空ひばりが聴けない知識人
ここにその「現代日本の詩歌 吉本隆明」のなかの美空ひばりの部分を抜き書きしてみたい。読まれた方も多いと思いますが。
「私は美空ひばりさんという歌手を世界的な歌手として、とても高く評価している。日本語の唄を欧米の有名なコンサートホールで歌っても、現地のひとにきちんと通じる歌手だ。うまさ、雰囲気、表現力。欧米の人も、世界的レベルの歌手だとすぐわかるだろう。日本人のクラシック音楽の歌手は、日本ではうまいかもしれないけれど、世界レベルにはなかなか達しない。欧米では日本人でもこれぐらいは歌えるのかと珍しがられるだけだ。でも美空ひばりさんは実力で、海外の聴衆を驚嘆せるだろう。」ここまで読まれれば、後は省略しても美空ひばりに対する評価は十分伝わるだろうが、もう少し先まで抜き書してみます。
「日本の歌曲の特徴は、それは演歌の特徴といってもいいが、言葉をメロディ−にしてしまい、同時にメロディ−を言葉として聴くことが出来る云う点にある。」
この箇所はまさしく卓見であろう。
「美空ひばりさんはこのような日本人に最大限訴える歌い方をしている。たとえば、「ひばりの佐渡情話」に特徴的なのだが、高い声でのばす部分がある。音に過ぎないのだけれど、ひばりは言葉として歌い、日本の聴衆は言葉として聴いている。美空ひばりさんの歌声は単なる音でなく、表面に現れない意味が一杯に詰まっている。日本の知識人は、演歌を低俗だと退けたり、演歌に感心するのを恥ずかしいと思ったりする人がいる。一方、日本の大衆は演歌が好きで、美空ひばりさんが特権手にすぐれていることを知っている。両者の間には深い溝がある。」と吉本氏は述べている。
ここまで大変、長い引用になってしまったが、これほど丁寧にわかりやすく美空ひばりと演歌についての優位性を述べた評論も少ないだろう。というか、私は知らない。今日はここで一応、終わりとします。この先の美空ひばりが亡き後の演歌については別の機会に考えたい。
「私は美空ひばりさんという歌手を世界的な歌手として、とても高く評価している。日本語の唄を欧米の有名なコンサートホールで歌っても、現地のひとにきちんと通じる歌手だ。うまさ、雰囲気、表現力。欧米の人も、世界的レベルの歌手だとすぐわかるだろう。日本人のクラシック音楽の歌手は、日本ではうまいかもしれないけれど、世界レベルにはなかなか達しない。欧米では日本人でもこれぐらいは歌えるのかと珍しがられるだけだ。でも美空ひばりさんは実力で、海外の聴衆を驚嘆せるだろう。」ここまで読まれれば、後は省略しても美空ひばりに対する評価は十分伝わるだろうが、もう少し先まで抜き書してみます。
「日本の歌曲の特徴は、それは演歌の特徴といってもいいが、言葉をメロディ−にしてしまい、同時にメロディ−を言葉として聴くことが出来る云う点にある。」
この箇所はまさしく卓見であろう。
「美空ひばりさんはこのような日本人に最大限訴える歌い方をしている。たとえば、「ひばりの佐渡情話」に特徴的なのだが、高い声でのばす部分がある。音に過ぎないのだけれど、ひばりは言葉として歌い、日本の聴衆は言葉として聴いている。美空ひばりさんの歌声は単なる音でなく、表面に現れない意味が一杯に詰まっている。日本の知識人は、演歌を低俗だと退けたり、演歌に感心するのを恥ずかしいと思ったりする人がいる。一方、日本の大衆は演歌が好きで、美空ひばりさんが特権手にすぐれていることを知っている。両者の間には深い溝がある。」と吉本氏は述べている。
ここまで大変、長い引用になってしまったが、これほど丁寧にわかりやすく美空ひばりと演歌についての優位性を述べた評論も少ないだろう。というか、私は知らない。今日はここで一応、終わりとします。この先の美空ひばりが亡き後の演歌については別の機会に考えたい。




